2010/05/13

シチュー系料理のオペレーション改善

 「健康的な食事」は、留学生活で最も確保の難しいライフライン。食事には、外食、自炊、弁当・テイクアウト、誰かに作ってもらうといったパターンがある。ただ、残念ながら、自分には今のところ誰かに作ってもらうという選択肢はない。

 食事について考えるべき評価軸は、スピード(時間)、健康度、お金、料理の技術の必要性、味として、評価レベルは3段階で、良い順に、○、△、×としてみる。なお「技術」は、自分に料理の技術が必要なくて済むほど評価が高いことにしよう。 

食事の選択肢の評価


 時間のない生活では、相反しやすい「スピード」と「健康」の両立が課題になる。日本のように、ある程度健康的な総菜屋などがあれば、一発解決だ。だけど、米国にはない。

 自分のニーズと食事の選択肢の評価を比べると、スピードを最重視した場合は、弁当・テイクアウトが解になる。ただ、これでは、健康を確保できない。健康がクリティカル・ファクターだとすれば、選択肢は自炊ということになる。問題は、自分のニーズと乖離している、「スピード」と(自分の料理の)「技術」の向上がどれだけ可能か、という点だ。だから、料理のスピードを向上するオペレーション改善は、ライフライン確保のための必須の取り組みなのだ。

 自炊の目的は、野菜を多く使った健康的な料理を作ること。野菜は、炒める、煮る、蒸すなどすることができるが、今回は「煮る」を取り上げ、シチューを作る。

シチューを作るには、次の様なプロセスをたどる。


 このプロセスでは、「煮る・アクを取る」を終えるまでに45分かかる。それ以降のプロセスの料理時間は、電磁調理器を使えば、それほど神経を使って見張る必要はないので、あまり気にする必要はない。

 さて、1食あたりの料理時間は、「1食あたりの料理時間=料理時間÷食数」のように考えることができる。料理時間を変えずに、食数を増やすことができれば時間短縮になる。例えば、シチューであれば、料理時間は1食分でも5食分でもそれほど変わらない。したがって、時間を節約する有効な方法の1つが、1回の料理で大量生産して食数を増やすことだ。

 このようにすれば、例えば5食分作れば、1食あたりの料理時間は、45÷5で9分となり、スピードは、弁当と大体同じ「良」の水準となる(ただし、食材の調達時間は、ここには含まれていない)。だた、そのつもりで、大量に作って、火を入れながら3日ほど常温保存したころ、酸っぱくなってしまった。そこで、常套手段である「小分け冷凍保存」を行うことで、数日に渡って、シチューを食べることができるようになった。

 ただ、この方法では、大量生産した一種類のシチューしか食べることができない。上記のプロセスを辿って、別のシチュー系料理のクリーム・シチュー、ハヤシ・ライス、カレーなどを作ることは可能だが、冷凍庫内のスペースには限りがある。次々に大量に作って在庫を過剰に積み上げることはできない。

 そこで、もう一度、プロセスを確認しよう。各シチュー系料理は、「煮る」までのプロセスを共有している。ここで出来上がっているのは、かなりダシの効いた肉野菜スープだ。ちなみにこのスープは、そのままでも十分においしい。

 この共通プラットフォームに各シチュー系料理の元を加えて行く訳だが、その際に、このスープをより小さな鍋に分けて移し、その時食べたい元を加えれば、好きなシチュー系料理を少量ずつ食べることができる。時間的なコストを抑えたまま、多品種少量生産が可能となる。



 元となる大きな鍋のスープは、分けて煮詰めたシチューに比べかなり水っぽいので、火を継続的に入れても焦げず、保存が利く。あるいは、このスープを少し煮詰めて濃縮して、ボリュームを減らした上で小分けにして冷凍し、解凍時に水を加えて、各種シチューの元と混ぜで煮込む、という方法も採れる。

 このようにして、シチュー系料理におけるスピード、健康、味(バラエティ)、お金などの要素を同時に改善することができる。自分にとっては発見だったが、料理をよく知る人には、当たり前の「生活の知恵」に過ぎないのかもしれない。

セブン・イレブンCEOの講演

セブン・イレブンCEOのジョセフ・デピント(Joseph DePinto)氏が5月13日(木)、
ケロッグで講演した。同CEOはケロッグの卒業生で2005年に同社CEOに就任した。
以下、要旨。

セブン・イレブンは1927年にアイスハウス(製氷店)として発足、
現在世界16カ国に38,000店舗を抱える。
マクドナルドの120カ国、32,000店舗と比べると、
特定の地域に集中して出店していることがわかる。

同社を巡る米国における環境としては、
(1)雇用悪化、(2)人種の多様化、(3)グリーン意識の高まり、(4)健康意識の高まり、(5)付加価値、低価格重視、などがあげられる。
こうした状況に対応すには、まず、顧客視点で考えることから始める。
顧客が考える要素は、(1)品質、(2)サービス、(3) バリュー、(4)清潔さ、(5)品ぞろえ(assortment)。
次に重要なのはフランチャイジーをモチベートすること。

顧客やフランチャイジーを考える際に重要なことは、
CEOを頂点としたヒエラルキーに基づいた発想を転換し、
顧客を最上層に持ってくる必要がある。

また、全社で統一したバリューシステムを浸透させることも必要だ。

健康意識の高まりや規制の強化を受けて、
これまで、利益の大きな部分を占めていたタバコの販売が低下している。
これを補うのがホットフードやコーヒーの販売だ。

また、若年層のコンビニ離れが深刻で、同社では若年層への再浸透を図っている。
クレジットカードを持っていない層へどのように売り込むか工夫が必要だ。

流通面では、卸センターの集約化を図っている。

***感想***
日本のセブンイレブンの店数は約12,000店と米国の約6,000点の2倍。
コンビニという業態のカギを握っているのは、人口密度の高い都市部における利便性の追求にある。
利便性を売り、そのための配送コストをかける、という戦略だ。

人口密度の高い日本においては、ドミナント出店を行うことで顧客にとっての利便性を高めるとともに、
配送コストを抑え、高い収益性を確保している。
一方で、米国は、場合によっては、都市部においても人口密度が日本ほど高くないため、
ドミナント出店を行いづらく、配送コストも高くつく。
市場の特性がコンビニに向いていないと思われる。

一方でウォルマートのような大規模店舗は、人口密度の低い米国に適したモデルであり、
逆に日本市場にはあまり適したものとは言えない。

つまり、利便性や配送コスト、車の利用の頻度など、市場特性に応じて、
適した小売り形態が異なるということ。

2010/04/26

Kellogg Japan Night 2010 PR

各国の学生がいつも何らかのイベントを開く中、日本人学生も参加の狼煙をあげることに。
毎年の行事ではありますが。

2010/03/01

ちょっとテスト中。

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2010/02/06

アジア的ライブの序曲

ハウス・オブ・ブルース」は、シカゴのブルース/ジャズの中心地といわれるクラブの1つだ。シカゴ市街の中心にあることもあって、かねてより訪れたいと思っていた。そのハウス・オブ・ブルースに、とあるきっかけで行くことができた。

チケットは23ドル。開演時間となり、ブロードウェイのミュージカルの劇場を一回りか二回り小さくしたようなステージに、小柄なアジア人の女の子が登場した。従えるアメリカ人のバンドメンバーに比べて、どうしても小柄に見える。客層は、アジア人9割といったところ。自分はその女の子が日本人だと知ってはいたが、米国に暫く暮らしてアジア人を一括りに見る癖が付いてしまったせいか、彼女に対して「日本人」というよりは「アジア人」という印象を持った。



彼女は、英語のポップスを4、5曲ほど続けて歌った。どれも知らない曲だった。
彼女のMCの一言目は「So close!」だった。観客との距離が、普段より大分近いと感じたのだろう。確かに、ライブハウスに近い空間だった。

彼女が観客に英語で語りかけるのを見るのは初めてだったが、自然だった。彼女は、米国で良く出会うABC(American Born Chinese)などアジア系米国人や米国に永住権を持つシンガポール人などと似た雰囲気を纏い、彼らが形成するアジア系コミュニティーにも自然に溶け込めそうだと感じさせた。

「I’m bilingual, so are you ready for some Japanese songs?」と彼女は言って、「光」、「SAKURAドロップス」といった日本語の曲を歌い始めた。観客が沸いた。やがて「First Love, please」といった叫びが会場のあちらこちらから上がった。スクリーンには「Utada」の文字がきらめく。

彼女の米国でのパフォーマンスはいろいろな点で割り引かれている。チケットの価格、音響設備の質、観客動員数など、全て日本での公演を大幅に下回る。「宇多田ヒカル」という確立したブランドも、「Utada」という未知数のブランドに置き換わる。それでもその場所に彼女がいたのは、やはり彼女がそこにいたいと思っているからだと感じた。彼女がその場所で見せた顔は、日本での顔とは少し違うはずだ。彼女は、ずっとその顔を求め続けてきたのではないか。2004年の米国デビューアルバムのタイトルを「EXODUS」としたのもそうした気持ちの表れではなかったか。

彼女がFirst Loveを歌い出すと、驚いたことに多くの観客が日本語の歌詞を口ずさんでいた。香港、台湾、韓国、シンガポールなどでもヒットした曲だ。Automaticのイントロが流れ始めると会場はさらに盛り上がった。

12年前の1998年夏、大学3年生の自分はニューヨークにいた。2カ月間、自己確認作業をして進路を判断しようとしていた。帰国すると、ニューヨークで知り合った友人から、新人アーティストの曲を勧められた。「英語が上手い、15才の女の子のデビュー曲だよ。」宇多田ヒカルのAutomaticだった。

彼女の登場以来、一青窈 、BOA、クリスタル・ケイといったバイ/マルチリンガルのアーティストが増えた。iTunesなどで探せば、Emi Maria、Jay'Ed、BENI、May J.、Emyli、加賀美セイラなど、英語の堪能な日本人アーティストを数多く見つけることができる。そうしたアーティストは、以前の邦楽に「混じっていた」英単語ではない、異質な文化的背景を感じさせる言葉を紡ぐ。


こうした変化を考えると、2つの疑問が生まれる。第1に、異質な文化をリアルに感じさせるものに対する需要が日本に生まれているのか。日本人アーティストは、日本市場の需要に応えてこそ存在できる。これまでの日本市場において、英語の歌詞などは曲にスパイスを加える程度のものでしかなかった。それが変わったのか。第2に、近い将来のアジアにおいて、汎アジア的なトレンドがローカルな市場をリードすることがありえるのか。

仮説を考えてみよう。1点目については、YESだ。日本市場では、文化の成熟、細分化が進むにつれ、よりリアルなものが求められるようになってきている。R&Bのグルーブ感であれ、単に英語の歌い方であれ、歌い手が、生まれや育ちの関係などからその文化的な背景まで取り込み、本物のエッセンスを加えた表現をすることが求められるようになってきた。

2点目を考えるにはより長期の視点が必要だ。これまでアジアのトレンドは日本がリードしてきた面が大きい。しかし、今後、アジア経済の融合と日本の相対的な影響力の低下がさらに進めば、アジアの文化的トレンドはアジアの先進経済圏と米国を結ぶ面の上に形成されるものにけん引されていく可能性がある。日本で異質な文化に対する受容度が高まりつつあるのは、そうした動きに対応する兆しとも捉えられる。

国レベルの市場特性に加えて国境を跨ぐ地域レベルの市場特性を有する新たな複合市場が形成されれば、マーケティングはクロスボーダーな取り組みとなり、消費者に対する洞察も、これまでとは異なる視点が必要になってくる。加えて、ネットの発達は、そうした動きを後押しする方向に働く。ただ、そうした変化がどの程度の速度で起こるのかという点を読み解くことは簡単ではない。

***
Prelude of Asiatic Live

House of Blues is one of the most popular blues/jazz clubs in Chicago, located in the center of the city. I always wanted to visit and recently I finally got the chance to go.

The ticket was 23 dollars. The stage was somewhat smaller than those of Broad Way theaters. When the show started, an Asian girl appeared on the stage. Compared to her American band members, she looked quite tiny. Audience was about 90% Asian. I knew that the girl was Japanese, but I had an impression that she was “Asian” rather than “Japanese.” This is probably because after living in the U.S. for a while, I started to recognize all Asians as one group.

She sang 4, 5 English pop songs. I did not know any of them. “So close!” Those were her first words she spoke. She must have felt that the distance between she and her audience was much closer than what she is used to. The place indeed had a good live house feeling.

I have never seen her speak to the audience in English. She was natural. She had a similar vibe as ABC (American Born Chinese) or other Asians that live in the U.S have. I felt that she would naturally fit to any Asian communities in the U.S.

“I’m bilingual, so are you ready for some Japanese songs?”
She started to sing Japanese songs such as “Hikari” and “SAKURA Drops.” The cheer got louder. “First Love, please!” People screamed from different parts of the floor. The screen projected glittering letters of “Utada.”

Her performance in the U.S. is discounted heavily in many aspects. The price of the ticket, quality of audio equipments, and number of audience all fall below the level she can expect in Japan. The outstanding brand “Utada Hikaru (in Japanese characters)” is also substituted with “Utada,” a brand with value difficult to estimate. Nevertheless, I felt she was there because she wanted to be there. The face she showed that night should have been a little different from what she has in Japan. She has always sought other ways to express herself. If not, why would she name her U.S. debut album “Exodus”?

When she started to sing First Love, surprisingly, a lot of people sang along in Japanese. The song was also a hit in Hong Kong , Taiwan, South Korea, and Singapore. When the intro of Automatic started, the crowd got even louder.

In summer 1998, 12 years ago, I was staying in New York for two months. I was a junior in college and was trying to put my thought together about my path after college. When I got back to Japan, a friend recommended a song of a new artist. My friend said, “It’s a debut song of a 15 years old girl who speaks fluent English.” It was Utada Hikaru’s Automatic.

Since the advent of Utada Hikaru, many bi/multilingual artists, such as Hitoto Yo, BOA, Crystal Kay gained popularity. If we search online services such as iTunes, we can easily find Japanese artists such as Emi Maria, Jay'Ed, BENI, May J., Emyli, and Kagami Seria, who are bi/multilingual. Those artists spell lyrics that are different from those of previous artists that used English just to add flavors to songs. The new artists deliver some very different foreign cultural context.

Thinking about such changes in the pop culture, two questions arise. First, is there a new demand in Japan for things that deliver different cultural context? Japanese artists (or artists based in Japan) can only exist by meeting the demand of the Japanese market. Second, in the near future in Asia, is there a possibility that pan-Asian trend will lead local markets?

Here are some hypotheses. The answer to the first question is yes. In the Japanese market the pop culture is getting matured and increasingly segmented. As a result, people are demanding things that are real, be it the groove of R&B or simply how the English lyrics are sung. Artists are required to express things that contain the essence of realness that artists acquired through their life.

Second point will require more long-term perspective. To date, Japan has had significant influence on pop culture in Asia. However if the convergence of Asian economy and relative decline of Japanese influence continue, Asian cultural trend might be led by things that are born in the area connecting advanced Asian economies and the U.S. The increased Japanese acceptance towards exotic cultures might be understood in such context.

If such new compound market, a market that has both country and regional level properties, develops, marketing will be a cross boarder effort and consumer understanding will require new perspectives and insights. Advancement of network technology will accelerate such trend. The difficult question to answer is how fast such change might happen.

2009/12/15

シカゴのブルースが奏でるグローバル化

第1クオーターの期末試験を乗り越えると、3週間の冬休が始まる。冬休の予定を事前に計画していないと、エバンストンにとり残された様になる。

私は休みの前半をシカゴのダウンタウン開拓に使うことにした。以下はその初日の出来事。

午後をフィールド自然歴史博物館で過ごした後、アンディースというジャズクラブに足を運んだ。
最近仲良くなった台湾人学生6人とシカゴにしては珍しい薄い生地のピザをついばむ。

総勢15人程度のビッグバンドの勢いのある演奏を聴きながら、ふとテーブルのロウソクが電気式だということに気が付く。演奏が震わす空気に揺らめいて踊る小さな炎が愛しいのに、残念だな、などとぼんやりと考える。

小一時間の演奏の後、 30分程度の時間を挟んで、次に演奏する別のバンドが準備を始める。
その中に、日本人らしい坊主頭の男性に気が付く。
ウエイターを捕まえてバンドのことを聞くと、「ヨーコ・ノゲ」という女性シンガーが率いるバンドだという。ヨーコの挨拶や自己紹介から、25年前に渡米し、シカゴでローカルな活動を繰り広げて来たと知る。
日本人、黒人、白人からなる7人の混成バンド。
前半のバンドとは異なり、しっとりとした繊細な音が流れだす。



甲高いテナーサックスとトロンボーンの音色が飾ることなく、さり気なく、互いに溶け込む。

「ジャズは米国にとっては空気だ。無くなって、 息ができなくなって、初めてその大切さに気が付く」とヨーコ。

フロアはバンドの繰り出すビートとヨーコの歌に引き込まて行く。ヨーコは日本の小話を散りばめながら、 フロアを沸かす。
演奏もラスト一曲となった時、ヨーコは日本の民謡のアレンジを歌い始めた。最初は英語で。そして次に三味線に乗せて、日本語で堂々と歌い切った。

三味線の弾ける響きに合せて体を揺する黒人男性客。演奏が終わると、多くの客が立ち上がって拍手を送る。
とある月曜日、ヨーコ達はシカゴの風景に溶け込んでいるように見えた。

ヨーコ達が織り出す音は日米のフュージョンだという。

フュージョンの成否は企業買収と同じかもしれないと思う。合併の是非は、シナジーにより合併後の利益が合併前の個別企業の利益の和より大きくなるかどうかで判断する。黒人ではない日本人がシカゴでジャズを奏でることで何が生まれるのか。「目新しい」ということ以外に、新たなジャズやブルースの価値が生み出せるのか。その判断は、この場合、演奏後に立ち上がって熱烈な拍手を送った客に求めるべきなのかもしれない。

演奏後、挨拶に向かうと「日本人は頑張ってるよ」と坊主頭のメンバーの方。これまで海外で活躍する多くの日本人と、そうした人々を受け入れてくれた各国の人々に出会ったという。「日本国外でも現地人と対等に渡り合う」。自分がMBAを通じて培おうとしている力を彼等が実際に発揮しているのを目の当りにした。

彼等のように日本を飛び出して挑戦して来た人達は、言ってみれば、個人の力でグローバル化を体現してきた。しかし、これからはグローバル化しなければ、生き残れないという状況が増えてきている。ヨーコ達程開拓精神を持っていなくても、グローバルな世界に適応できるか。生き残るためには、日本社会全体が、グローバル化を見つめて行く必要がある。ヨーコ達の演奏は、そうした世界で生きようとする者に対してはなおさら、心を揺さぶる力を持っている。

Yoko Noge and the Jazz me Blues Band official site
Youtube clips

*Globalization Blues in Chicago

After surviving the final exams of the first quarter, three-week Winter break kicks in. I decided to spend the first half of the holidays to explore downtown Chicago. Following is what happened on the first day.

After visiting Field Museum in the afternoon with my friends, we moved to Andy's, a jazz club in down town Chicago. While listening to the uplifting sound of the big band consisted of about 15 players, my eyes caught the candle on the table and found that it was actually electric. It’s a pity because the tiny flame that dances to the vibrating air is unnoticed but an important piece of the ambiance.

The band finished playing after an hour or so. As I watched the next band prepare during intermission, I noticed a man with shaved head that looked like Japanese. I grabbed a waiter and asked about the band. He mentioned that the band is led by a female singer "Yoko Noge."

From Yoko's introduction and her talks between songs, I learned that the Japanese members of the band came to the U.S. 25 years ago and have been playing locally since then. The band is a mix of Japanese, black, and white. Delicate and subtle music started to flow, different from that of the first band. High-pitched sound of tenor sax and trombone melted in the resonance.

"Jazz for Americans is like air. You realize its true significance only when you lose it and become unable to breathe," said Yoko.

The floor was drawn to the beat of the band and Yoko's soulful voice. Yoko entertained the audience by scattering small stories about Japan. When it became the last song of the night, she began singing Japanese traditional folk song arranged in blues. She sang it first in English. Then she unabashedly sang in Japanese along with the tune of Shamisen, a traditional Japanese guitar. A black man shook his body to the groove of Shamisen’s choppy sound. When the band finished, dozens of audiences stood up and gave a warm applause.

On one ordinary Monday, Yoko and the band seemed to have blended in the City of Chicago.

Yoko said that the music that they play contains elements of Japanese and American fusion.

The factor that determines the success of fusion should be the same as that of corporate M&A. M&A is successful only when synergy makes the profit after the M&A larger than the sum of profit of each firm before M&A. What can non-black Japanese bring out by playing jazz and blues in Chicago? Other than just being "new," would there be new value for jazz and blues? Those audiences who stood up and gave a fervent applause could provide answer to such question.

After the performance I went to the stage to thank the band. “Japanese are making good effort,” the man with the shaved head told me. He said he has seen many Japanese challenging on the world stage and many locals that supported them. “Being fully able to work with people around the world.” This is the strength that I would like to build through my MBA experience. It was striking to witness the band actually exhibit such capability.

Yoko and her members are the ones who have embodied globalization mostly though individual efforts. However, the world is getting increasingly difficult to survive without globalizing. Even if we don’t have as much pioneer spirit as Yoko and her member, we have to adapt to the globalized world. In order to survive, the Japanese society as a whole should give more serious focus to globalization. Yoko’s band’s music has the power to shake the spirit, especially of those who intend to live in such world.

2009/11/06

有機的な繋がりのある学びとは

ケロッグで学ぶ意義の一つに、「学びが有機的に繋がっている」という点が挙げられる。
本格的に授業が始まって、2カ月未満だが、その片鱗を見たので紹介する。

1.「第一印象」の重要性
誰でも日常の知恵として知っている「第一印象は大事」という、非常にシンプルな概念について、ビジネスの理論、統計的な裏付け、ビジネスの現場、という3つの面から学ぶことができた。「第一印象は大事」だとなんとなく分かっていても、その裏付けを理解することは重要だろう。

(a)リーダーシップ、組織論、交渉術を学ぶ授業で、「アンカリング効果(投錨効果)」という概念を学んだ。例えば、価格が交渉で決まるものについては、始めに提示する価格がインパクトを生んで、その後の交渉に影響を与える。交渉をリードしたければ、先手を打つことが重要な場合が多い。

(b)統計の授業で、「情報カスケード」という概念を学んだ。例えば、不確定な情報しか無い状況下では、先行する人の行動に習ってしまう傾向が強い。身近な例では、見知らぬ町でレストランを選ぶ時に、人が多く入っている店を選ぶことが多い。先行する人の判断が間違っていたとしても、先行する人の行動自体がその後に続く人の判断に影響を与えてしまう。この概念について、確率の計算や統計的なシミュレーションを通して検証した。

(c)ボストン・コンサルティング・グループのランチ・プレゼンテーションにおいて、パートナーが、就職活動を行う学生に対し、面接でインパクトを残すことの重要性を強調した。仕事においても、クライアントに対し、最初に良いインパクトを残すことが重要だという。


2.「正の増幅を生む相互作用」の重要性
行動の効果を高め、結果を最大化するために、人、組織、プロセスのいずれにおいても、プラスの相互作用を生むように調整する必要があることを、チーム、経営戦略、マーケティング戦略の3つの側面から学んだ。

(a)リーダーシップ、組織論、交渉術を学ぶ授業で、強いインパクトを生むチームの条件として、「結束力(Cohesion)」と「スキルの補完性(Complementarity)」のバランスが重要だと学んだ。結束力とスキルの補完性のどちらかに偏重すると、競争が不足したり、激化したりといった問題が生じる。つまり、専門性の高い個々人が、相互に信頼を持って協力する状態が望ましい。

(b)経営戦略の授業で、「調和(Consonance)」という概念を学んだ。例えば、消費財の製造企業が高価格ニッチ市場に向けて製品を販売する場合、企業の強み(コア・コンピタンス)、組織・人事制度、サプライヤーとの関係、企業文化、などが調和し、違いに正の影響を与え合うよう各要素を高価格ニッチ市場向けに調整する必要がある。この調和により、効果と結果を最大化することができ、またこの調和自体が他企業による模倣を難しくし、競合に対する参入障壁となる。また、同授業では、企業買収において、「相乗効果(Synergy)」の有無が買収判断の是非に直結していると学んだ。そして、「調和」と「相乗効果」のいずれの概念も、各要素が正の相互作用を生み、単独の要素よりも大きな結果を生み出すという本質において同じだと学んだ。

(c)マーケティングの授業では、様々なメディアを融合することで、マーケティング効果の最大化を試みる「統合型マーケティングコミュニケーション(Integrated Marketing Communication:IMC)」という概念を学んだ。

このように、ビジネスのカギとなる概念が有機的に繋がっていることを見ることができるのは、学びの理解を深める上で非常に重要だと感じる。