2010/11/12

星条旗の強さ

米国経済の強さの理由のひとつに人材の流動性の高さが挙げられる。
米国では、民間と政府の人材交流が盛んで、
民間の動きが政府の政策に反映されやすいといったメリットがあることは日本でも知られている。

日本であまり知られていないのは、軍隊と民間の交流も活発だということだ。
ケロッグのランチセッションで軍隊出身の学生によるパネルディスカッションが行われたので、そこでの気づきを紹介する。

パネリストは、トップガン(全パイロットのトップ1%といわれるエリート集団)、海兵隊、潜水艦隊などでの小隊長経験者ら7人。
イラクなどの戦場でリーダシップを取ってきた面々だ。

彼らの経験が貴重なのは、命を賭しての経験であるがゆえに、その示唆の純度が高く、現実味があるということだ。

***要旨***
リーダーシップについて。
MBAの修了者が企業で直面するような課題をすでに体験している。
士官学校をでて、現場に入ると、自分よりも年長で経験の長い部下を率いなければならない。その際に重要になるのが、自分が秀でていると示すこと、実際に行動し(lead by example)最前線から指示を出すこと、部下の意見に耳を傾けることだ。
自分より劣るものや、安全なところから指示を出す人間についていく者はいない。

理論と実践について。
現場でリーダーシップを発揮するのに、士官学校で理論を学ぶことは重要だ。
また、砲撃を受けて部下が死んでいくような現場では、応戦や救護要請をするなどの判断を迅速に行う必要があり、柔軟で的確な判断が必要になる。

極限状態と現実感について。
戦場では、部下が死に、自分も命を失うことを恐れなくなる瞬間がある。
非常に興味深く、また、危険なメンタリティーでもある。
その極限状態から、日常の感覚に戻すには1カ月程度かかる。
日常の感覚に戻すことは重要なことだ。

部下のケアについて。
悲惨な出来事の後には、部下の話を聞くことも大事になる。
ただ、10分間、沈黙を共有するということも、ままある。

女性であることについて。
身体的な能力が男性より劣ることは受け入れる必要がある。
しかし、女性のグループの中で上位10~20%に入れば、例えば、自分より腕立て伏せが多くできる男性に対しても、平均より少ないのであれば、胸を張って鼓舞することができる。
また、女性をはじめマイノリティーは注目を浴びやすい。
自分の振る舞いが女性全体の印象を決めてしまうので、ハードルをクリアするプレッシャーは高い。
また、そうしたプレッシャーに備えるためのトレーニングも厳しい。
ビジネスにおいても、女性にはそうしたプレッシャーがあるのではないか。

プライドについて。
軍隊では自分が呼ばれる時に、5つくらいの罵りの形容詞が付く。
そう罵られても、いずれ、自分は大したダメージを受けていないことに気が付き、現時的に意味のあることにだけ注意を払えるようになる。

ストレス耐性について。
ストレス耐性をつけるには、自分を惨めな状態に置いて、そこから這い上がるしかない。
投資銀行であれコンサルティングであれ、どうしようもないプロジェクトからなんとかして這い上がることで実力もストレス耐性もつく。

直截であることについて。
戦場では、統制が必要なので階級が重要性を持つ。
しかし、作戦会議では自分が正しいと思うことに関しては、上官に対してもズバリ意見を述べることが求められている。
上官はそうした意見に反発感を決して持ってはならない。
夏にコンサルティング企業でインターンをして感じたことは、上司が間違いを指摘されることを過度に嫌うことだ。

***

パネルディスカッションの終了時、ケロッグで聞いた中でもっとも長く、大きな拍手が起こった。
彼らの話の内容や、時間を取ってもらったということに加え、国家のために命を賭けて行動したことに対する敬意であったと思う。

彼らは、軍隊での経験がビジネスに生きることに疑念を持たせない。
また、彼らはビジネススクールの中でも優秀な集団で、実際多くの人がトップコンサルティング企業で働くことになっている。
(プロジェクトベースの働き方が、作戦ベースの軍隊と似ているとの話もある)
加えて、極限状態を体験していることから生まれる視点や切り口は、彼らが真に力のあるビジネスリーダーになるのではないかと予感させる。

星条旗の強さはの源のひとつは、人材の高い流動性を実現しているシステムにある。
軍隊が、優秀な人材を獲得し、ビジネスマンとしても通用する知のトレーニングができているという事実。
そうした人材がビジネス界にも供給されていること。
ビジネススクールという場で、彼らの経験が共有されていることにも価値があるだろう。

日本も、より人材をダイナミックに流動化させるべきだ。
そのように思うとともに、そうした感想が底浅いと感じるほどに、日米の格差は大きいと思える。

2010/08/07

サーマー・インターン

学校には夏休みがある。
MBAは大学院という学校のプログラムだ。
だからMBAには夏休みがある。

3段論法としてはその通りでMBAには夏休みがあるのだが、
ほぼ全ての学生が夏休み中サマーインターンという形で企業で仕事をする。

業種の割合としては、投資銀行、コンサルティング・ファーム、事業会社に等分に分かれる。
仕事の忙しさはそれぞれ異なるが、それなりの試練を経験する人が多い。

大学院の生活は睡眠時間を削るほど忙しいが、最終的には責任はない。
責任の重みが、仕事にはある。

2010/05/27

ランチセッション「クリスチャンとして人生の選択に優先順位をつける」

ハリー・クレイマー(Harry M. Kraemer)教授が、昼のセッションで、「クリスチャンとして人生の選択に優先順位をつける」と題して講演した。同教授は、製薬企業バクスター・インターナショナル社(フォーチュン500で185位)の元会長兼CEO。

ポイントは以下のとおり。
・人の多様な価値観を尊重すべき。自分はなにが正しいかを知らない。ただ、強い意見なら沢山持っている
・人生は短く、大義のために生きる。それが目的
・目的がはっきりしていれば、そのための手段はおのずと見えてくる
・日々、自省の時間を設け、自分の目的を確認し、自分の行いがその目的に沿ったものであるか振り返る
・ある人から問題が起こったと聞いたとき、それが本当に驚くに値することなのか、疑問に思うことがある。例えば、子供の巣立ちが予想できたのに、大きな家を買ってしまったなど、大抵予見できる話
・なにも持たずに生まれてきたのだから、なにも持たずに次ぎに進む
・車は型落ちだし、簡素な家に長年住んでいる
・物質的なものにとらわれると、自分がなにを大切にしているのかが見えなくなる
・最終的には自分の主義信条を貫き、そぐわないときは、次に進む。その選択をする力がある
・優先順位を見失わないこと。自分にとっての優先順位は、信仰、家族、社会貢献

***感想***

ケロッグでは、日々、複数のランチセッションが開催されている。
外部講師や学生による、「就職活動必勝法」、「エクセル上達術」といった実践的なもの、企業のトップによる「ルイヴィトンのマーケティング戦略」といった企業戦略に関するもの、教授陣による各分野についての小話など、内容な様々。エンターテイメント性もあり、さながら観劇する演劇を選ぶような楽しさがある。

クレイマー教授の今回の講演テーマは異色で、宗教に根ざす価値観と企業人としての生き方を重ねて見せたものだ。同教授はCFOも務めているが、企業の目的・ゴールが、利益の最大化であるのに対し、同教授の人生の目的・ゴールは、大義のために生きることだという。

同教授は、クリスチャンであることで、目的を持ち、そのための手段を考え、実行し、自省するという、いわゆる人生のPDCAサイクルを実践している。目的を明確化させ、PDCAサイクルに乗せるというのはP&GのCEOが述べていた点とも重なる。
http://duck-dive.blogspot.com/2009/10/p.html

こうした複眼的な観点からビジネスを考えることができるのも、貴重な機会だ。なお、ケロッグの正式名称は「ケロッグ・スクール・オブ・マネジメント」であり、学位はMBAだが、「○○・ビジネス・スクール」といった名称を使っていない。

なお、以下は講演を聴いて疑問に思った点。
・宗教を持たない人はどのように目的を設定すべきか
・クリスチャンとしての価値観と、企業人としての価値観はどの程度合致するか
・平均的な大多数の人は、自分の主義信条を貫き通すことの厳しさを知っているのではないか

2010/05/18

価値基準が優先順位を決める:MBAで学ぶ100のエッセンス(2)

企業の競争優位の源泉は、(1)資源(ヒト、モノ、カネ、情報、技術など)に基づくケーバビリティ、(2)オペレーション、(3)企業の価値基準など。

価値基準は、企業の中の人をまとめるスローガンのように捉えられていて、
競争順位の源泉であると理解されづらい面がある。

価値基準の真価は、優先順位を決めることができる点で、
社員一人一人が、各自独立して、しかし、全体の戦略と整合性のある判断を下せるようになる。

ただ、競争環境の変化が起こり、3つの源泉に変化を起こさなければならないとき、
企業文化にまで昇華してしまった価値基準を変えていくことは、
他の2つの源泉を変えることに比べ難しい。

2010/05/17

ルームメート主演のミニドラマです。ケロッグ1年のA氏が監督・編集したもので、
ジャパン・ナイトで流しました。

http://www.youtube.com/watch?v=T8r8i8YPu4c
http://www.youtube.com/watch?v=pl1yvvQ8QCU
http://www.youtube.com/watch?v=3d9nOhd-M5E
http://www.youtube.com/watch?v=w7Hz9BBGYDs
http://www.youtube.com/watch?v=ZI6auL1_N-k14

ジャパン・ナイトは350人を集めてのショーとなり、大きな成功でした。
「ケロッグで一番のショーだった」というコメントを人づてに聞くと、やって良かったと思います。

以下は、当日のプログラムでした。
*** Program ***
6:00pm Party Begins
6:20 Opening Performances
- Japanese Male Cheerleading
- Cosplay Fashion Show
- Kagami-wari (Opening the barrel ceremony) / Kampai! (toast)
6:50 – 7:10 Professional Taiko Drum Performance
7:10 – 7:40 Karate Performance
8:20 – 8:40 “How Enrique Experienced His Intern in Japan” show.
8:40 Finale Dance by Dancers of 2011

2010/05/13

パーセプションが行動を支配する:MBAで学ぶ100のエッセンス(1)

価値に応じて対価を払う。これは経済の基本である需給バランスの需要曲線を決めるものだ。

だが、この「価値」とは実は極めて主観的な概念だ。
この主観的なものの捉え方をパーセプションという。

「パーセプションが行動を支配する」とは、
その対価としていくら払うかは、消費者のパーセプション次第ということだ。
そして、このパーセプションは、現実にそのもの自体がどうでかあるかに関係しない。
消費者がどのようなパーセプションを持つか、そのパーセプションにどのように影響を及ぼせるかが、
マーケティングの主要な役割だ。

われわれ一人一人がどのようなものの見方をするかで、行動が変わってくる。
行動を起こす主体が個人である以上、個人のパーセプションが究極的には行動を決する。

不可能を可能にすることはできないが、可能なものを不可能と捉えているのであれば、
パーセプションを変えることで、可能性が広がる。

「諦めたら、そこで終わり」

と意識して、自分のパーセプションをチェックし続ける姿勢を維持したいものだ。

シチュー系料理のオペレーション改善

 「健康的な食事」は、留学生活で最も確保の難しいライフライン。食事には、外食、自炊、弁当・テイクアウト、誰かに作ってもらうといったパターンがある。ただ、残念ながら、自分には今のところ誰かに作ってもらうという選択肢はない。

 食事について考えるべき評価軸は、スピード(時間)、健康度、お金、料理の技術の必要性、味として、評価レベルは3段階で、良い順に、○、△、×としてみる。なお「技術」は、自分に料理の技術が必要なくて済むほど評価が高いことにしよう。 

食事の選択肢の評価


 時間のない生活では、相反しやすい「スピード」と「健康」の両立が課題になる。日本のように、ある程度健康的な総菜屋などがあれば、一発解決だ。だけど、米国にはない。

 自分のニーズと食事の選択肢の評価を比べると、スピードを最重視した場合は、弁当・テイクアウトが解になる。ただ、これでは、健康を確保できない。健康がクリティカル・ファクターだとすれば、選択肢は自炊ということになる。問題は、自分のニーズと乖離している、「スピード」と(自分の料理の)「技術」の向上がどれだけ可能か、という点だ。だから、料理のスピードを向上するオペレーション改善は、ライフライン確保のための必須の取り組みなのだ。

 自炊の目的は、野菜を多く使った健康的な料理を作ること。野菜は、炒める、煮る、蒸すなどすることができるが、今回は「煮る」を取り上げ、シチューを作る。

シチューを作るには、次の様なプロセスをたどる。


 このプロセスでは、「煮る・アクを取る」を終えるまでに45分かかる。それ以降のプロセスの料理時間は、電磁調理器を使えば、それほど神経を使って見張る必要はないので、あまり気にする必要はない。

 さて、1食あたりの料理時間は、「1食あたりの料理時間=料理時間÷食数」のように考えることができる。料理時間を変えずに、食数を増やすことができれば時間短縮になる。例えば、シチューであれば、料理時間は1食分でも5食分でもそれほど変わらない。したがって、時間を節約する有効な方法の1つが、1回の料理で大量生産して食数を増やすことだ。

 このようにすれば、例えば5食分作れば、1食あたりの料理時間は、45÷5で9分となり、スピードは、弁当と大体同じ「良」の水準となる(ただし、食材の調達時間は、ここには含まれていない)。だた、そのつもりで、大量に作って、火を入れながら3日ほど常温保存したころ、酸っぱくなってしまった。そこで、常套手段である「小分け冷凍保存」を行うことで、数日に渡って、シチューを食べることができるようになった。

 ただ、この方法では、大量生産した一種類のシチューしか食べることができない。上記のプロセスを辿って、別のシチュー系料理のクリーム・シチュー、ハヤシ・ライス、カレーなどを作ることは可能だが、冷凍庫内のスペースには限りがある。次々に大量に作って在庫を過剰に積み上げることはできない。

 そこで、もう一度、プロセスを確認しよう。各シチュー系料理は、「煮る」までのプロセスを共有している。ここで出来上がっているのは、かなりダシの効いた肉野菜スープだ。ちなみにこのスープは、そのままでも十分においしい。

 この共通プラットフォームに各シチュー系料理の元を加えて行く訳だが、その際に、このスープをより小さな鍋に分けて移し、その時食べたい元を加えれば、好きなシチュー系料理を少量ずつ食べることができる。時間的なコストを抑えたまま、多品種少量生産が可能となる。



 元となる大きな鍋のスープは、分けて煮詰めたシチューに比べかなり水っぽいので、火を継続的に入れても焦げず、保存が利く。あるいは、このスープを少し煮詰めて濃縮して、ボリュームを減らした上で小分けにして冷凍し、解凍時に水を加えて、各種シチューの元と混ぜで煮込む、という方法も採れる。

 このようにして、シチュー系料理におけるスピード、健康、味(バラエティ)、お金などの要素を同時に改善することができる。自分にとっては発見だったが、料理をよく知る人には、当たり前の「生活の知恵」に過ぎないのかもしれない。

セブン・イレブンCEOの講演

セブン・イレブンCEOのジョセフ・デピント(Joseph DePinto)氏が5月13日(木)、
ケロッグで講演した。同CEOはケロッグの卒業生で2005年に同社CEOに就任した。
以下、要旨。

セブン・イレブンは1927年にアイスハウス(製氷店)として発足、
現在世界16カ国に38,000店舗を抱える。
マクドナルドの120カ国、32,000店舗と比べると、
特定の地域に集中して出店していることがわかる。

同社を巡る米国における環境としては、
(1)雇用悪化、(2)人種の多様化、(3)グリーン意識の高まり、(4)健康意識の高まり、(5)付加価値、低価格重視、などがあげられる。
こうした状況に対応すには、まず、顧客視点で考えることから始める。
顧客が考える要素は、(1)品質、(2)サービス、(3) バリュー、(4)清潔さ、(5)品ぞろえ(assortment)。
次に重要なのはフランチャイジーをモチベートすること。

顧客やフランチャイジーを考える際に重要なことは、
CEOを頂点としたヒエラルキーに基づいた発想を転換し、
顧客を最上層に持ってくる必要がある。

また、全社で統一したバリューシステムを浸透させることも必要だ。

健康意識の高まりや規制の強化を受けて、
これまで、利益の大きな部分を占めていたタバコの販売が低下している。
これを補うのがホットフードやコーヒーの販売だ。

また、若年層のコンビニ離れが深刻で、同社では若年層への再浸透を図っている。
クレジットカードを持っていない層へどのように売り込むか工夫が必要だ。

流通面では、卸センターの集約化を図っている。

***感想***
日本のセブンイレブンの店数は約12,000店と米国の約6,000点の2倍。
コンビニという業態のカギを握っているのは、人口密度の高い都市部における利便性の追求にある。
利便性を売り、そのための配送コストをかける、という戦略だ。

人口密度の高い日本においては、ドミナント出店を行うことで顧客にとっての利便性を高めるとともに、
配送コストを抑え、高い収益性を確保している。
一方で、米国は、場合によっては、都市部においても人口密度が日本ほど高くないため、
ドミナント出店を行いづらく、配送コストも高くつく。
市場の特性がコンビニに向いていないと思われる。

一方でウォルマートのような大規模店舗は、人口密度の低い米国に適したモデルであり、
逆に日本市場にはあまり適したものとは言えない。

つまり、利便性や配送コスト、車の利用の頻度など、市場特性に応じて、
適した小売り形態が異なるということ。

2010/04/26

Kellogg Japan Night 2010 PR

各国の学生がいつも何らかのイベントを開く中、日本人学生も参加の狼煙をあげることに。
毎年の行事ではありますが。

2010/03/01

ちょっとテスト中。

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2010/02/06

アジア的ライブの序曲

ハウス・オブ・ブルース」は、シカゴのブルース/ジャズの中心地といわれるクラブの1つだ。シカゴ市街の中心にあることもあって、かねてより訪れたいと思っていた。そのハウス・オブ・ブルースに、とあるきっかけで行くことができた。

チケットは23ドル。開演時間となり、ブロードウェイのミュージカルの劇場を一回りか二回り小さくしたようなステージに、小柄なアジア人の女の子が登場した。従えるアメリカ人のバンドメンバーに比べて、どうしても小柄に見える。客層は、アジア人9割といったところ。自分はその女の子が日本人だと知ってはいたが、米国に暫く暮らしてアジア人を一括りに見る癖が付いてしまったせいか、彼女に対して「日本人」というよりは「アジア人」という印象を持った。



彼女は、英語のポップスを4、5曲ほど続けて歌った。どれも知らない曲だった。
彼女のMCの一言目は「So close!」だった。観客との距離が、普段より大分近いと感じたのだろう。確かに、ライブハウスに近い空間だった。

彼女が観客に英語で語りかけるのを見るのは初めてだったが、自然だった。彼女は、米国で良く出会うABC(American Born Chinese)などアジア系米国人や米国に永住権を持つシンガポール人などと似た雰囲気を纏い、彼らが形成するアジア系コミュニティーにも自然に溶け込めそうだと感じさせた。

「I’m bilingual, so are you ready for some Japanese songs?」と彼女は言って、「光」、「SAKURAドロップス」といった日本語の曲を歌い始めた。観客が沸いた。やがて「First Love, please」といった叫びが会場のあちらこちらから上がった。スクリーンには「Utada」の文字がきらめく。

彼女の米国でのパフォーマンスはいろいろな点で割り引かれている。チケットの価格、音響設備の質、観客動員数など、全て日本での公演を大幅に下回る。「宇多田ヒカル」という確立したブランドも、「Utada」という未知数のブランドに置き換わる。それでもその場所に彼女がいたのは、やはり彼女がそこにいたいと思っているからだと感じた。彼女がその場所で見せた顔は、日本での顔とは少し違うはずだ。彼女は、ずっとその顔を求め続けてきたのではないか。2004年の米国デビューアルバムのタイトルを「EXODUS」としたのもそうした気持ちの表れではなかったか。

彼女がFirst Loveを歌い出すと、驚いたことに多くの観客が日本語の歌詞を口ずさんでいた。香港、台湾、韓国、シンガポールなどでもヒットした曲だ。Automaticのイントロが流れ始めると会場はさらに盛り上がった。

12年前の1998年夏、大学3年生の自分はニューヨークにいた。2カ月間、自己確認作業をして進路を判断しようとしていた。帰国すると、ニューヨークで知り合った友人から、新人アーティストの曲を勧められた。「英語が上手い、15才の女の子のデビュー曲だよ。」宇多田ヒカルのAutomaticだった。

彼女の登場以来、一青窈 、BOA、クリスタル・ケイといったバイ/マルチリンガルのアーティストが増えた。iTunesなどで探せば、Emi Maria、Jay'Ed、BENI、May J.、Emyli、加賀美セイラなど、英語の堪能な日本人アーティストを数多く見つけることができる。そうしたアーティストは、以前の邦楽に「混じっていた」英単語ではない、異質な文化的背景を感じさせる言葉を紡ぐ。


こうした変化を考えると、2つの疑問が生まれる。第1に、異質な文化をリアルに感じさせるものに対する需要が日本に生まれているのか。日本人アーティストは、日本市場の需要に応えてこそ存在できる。これまでの日本市場において、英語の歌詞などは曲にスパイスを加える程度のものでしかなかった。それが変わったのか。第2に、近い将来のアジアにおいて、汎アジア的なトレンドがローカルな市場をリードすることがありえるのか。

仮説を考えてみよう。1点目については、YESだ。日本市場では、文化の成熟、細分化が進むにつれ、よりリアルなものが求められるようになってきている。R&Bのグルーブ感であれ、単に英語の歌い方であれ、歌い手が、生まれや育ちの関係などからその文化的な背景まで取り込み、本物のエッセンスを加えた表現をすることが求められるようになってきた。

2点目を考えるにはより長期の視点が必要だ。これまでアジアのトレンドは日本がリードしてきた面が大きい。しかし、今後、アジア経済の融合と日本の相対的な影響力の低下がさらに進めば、アジアの文化的トレンドはアジアの先進経済圏と米国を結ぶ面の上に形成されるものにけん引されていく可能性がある。日本で異質な文化に対する受容度が高まりつつあるのは、そうした動きに対応する兆しとも捉えられる。

国レベルの市場特性に加えて国境を跨ぐ地域レベルの市場特性を有する新たな複合市場が形成されれば、マーケティングはクロスボーダーな取り組みとなり、消費者に対する洞察も、これまでとは異なる視点が必要になってくる。加えて、ネットの発達は、そうした動きを後押しする方向に働く。ただ、そうした変化がどの程度の速度で起こるのかという点を読み解くことは簡単ではない。

***
Prelude of Asiatic Live

House of Blues is one of the most popular blues/jazz clubs in Chicago, located in the center of the city. I always wanted to visit and recently I finally got the chance to go.

The ticket was 23 dollars. The stage was somewhat smaller than those of Broad Way theaters. When the show started, an Asian girl appeared on the stage. Compared to her American band members, she looked quite tiny. Audience was about 90% Asian. I knew that the girl was Japanese, but I had an impression that she was “Asian” rather than “Japanese.” This is probably because after living in the U.S. for a while, I started to recognize all Asians as one group.

She sang 4, 5 English pop songs. I did not know any of them. “So close!” Those were her first words she spoke. She must have felt that the distance between she and her audience was much closer than what she is used to. The place indeed had a good live house feeling.

I have never seen her speak to the audience in English. She was natural. She had a similar vibe as ABC (American Born Chinese) or other Asians that live in the U.S have. I felt that she would naturally fit to any Asian communities in the U.S.

“I’m bilingual, so are you ready for some Japanese songs?”
She started to sing Japanese songs such as “Hikari” and “SAKURA Drops.” The cheer got louder. “First Love, please!” People screamed from different parts of the floor. The screen projected glittering letters of “Utada.”

Her performance in the U.S. is discounted heavily in many aspects. The price of the ticket, quality of audio equipments, and number of audience all fall below the level she can expect in Japan. The outstanding brand “Utada Hikaru (in Japanese characters)” is also substituted with “Utada,” a brand with value difficult to estimate. Nevertheless, I felt she was there because she wanted to be there. The face she showed that night should have been a little different from what she has in Japan. She has always sought other ways to express herself. If not, why would she name her U.S. debut album “Exodus”?

When she started to sing First Love, surprisingly, a lot of people sang along in Japanese. The song was also a hit in Hong Kong , Taiwan, South Korea, and Singapore. When the intro of Automatic started, the crowd got even louder.

In summer 1998, 12 years ago, I was staying in New York for two months. I was a junior in college and was trying to put my thought together about my path after college. When I got back to Japan, a friend recommended a song of a new artist. My friend said, “It’s a debut song of a 15 years old girl who speaks fluent English.” It was Utada Hikaru’s Automatic.

Since the advent of Utada Hikaru, many bi/multilingual artists, such as Hitoto Yo, BOA, Crystal Kay gained popularity. If we search online services such as iTunes, we can easily find Japanese artists such as Emi Maria, Jay'Ed, BENI, May J., Emyli, and Kagami Seria, who are bi/multilingual. Those artists spell lyrics that are different from those of previous artists that used English just to add flavors to songs. The new artists deliver some very different foreign cultural context.

Thinking about such changes in the pop culture, two questions arise. First, is there a new demand in Japan for things that deliver different cultural context? Japanese artists (or artists based in Japan) can only exist by meeting the demand of the Japanese market. Second, in the near future in Asia, is there a possibility that pan-Asian trend will lead local markets?

Here are some hypotheses. The answer to the first question is yes. In the Japanese market the pop culture is getting matured and increasingly segmented. As a result, people are demanding things that are real, be it the groove of R&B or simply how the English lyrics are sung. Artists are required to express things that contain the essence of realness that artists acquired through their life.

Second point will require more long-term perspective. To date, Japan has had significant influence on pop culture in Asia. However if the convergence of Asian economy and relative decline of Japanese influence continue, Asian cultural trend might be led by things that are born in the area connecting advanced Asian economies and the U.S. The increased Japanese acceptance towards exotic cultures might be understood in such context.

If such new compound market, a market that has both country and regional level properties, develops, marketing will be a cross boarder effort and consumer understanding will require new perspectives and insights. Advancement of network technology will accelerate such trend. The difficult question to answer is how fast such change might happen.